遠い場所もつながっているよ

May Flowers always line your path and sunshine light your day.

小学校で印象に残っている先生 27

大学生 女

 私の記憶に残っている小学校の先生は三人います。

 一人目は一・二年生のときに担任だった女の先生です。

 おっとりした中年の先生で、誰に対してもいつも笑顔で優しく接してくださったのが印象的です。

 あまり先生が感情的になった姿は覚えていないので、おそらくほとんど怒らなかったし、怒ったとしても理不尽な理由ではなかったのだと思います。

 誰からも好かれる良い先生で、本当に大好きでした。

 今になって思えば、教師の鏡のような人だと思います。

 二人目は三年生のときの三人目の担任だった女の先生です。

 この年はいろいろあって、先生には二学期頃からお世話になった記憶があります。

 若い先生だったということもあって、生徒から大人気でした。

 第一印象から気さくな感じで、みんなすぐにうちとけました。

 先生が自分のマスコットキャラクターとしてかわいいキツネのイラストをいつも使っていて、みんなそれを自分にも書いてほしくて、いつも囲まれていた気がします。

 先生とは私が高校に入って忙しくなるまではずっと文通を続けていました。

 今では疎遠になってしまったことをとても残念に思います。

 今日先生を思い出したことをきっかけに、もう一度手紙を出してみようかなと思いました。

 先生はおそらく緊急の非常勤として来られた先生だったので、この年度のおわりにまた違う学校にかわられてしまったのです。

 そのときはみんなに呼びかけて、先生には内緒で千羽鶴を渡しました。

 千羽鶴とは言ってもたぶん千羽には達してないし、つなぎ方も知らなかったため大きなビニール袋に入れて…。

 それほどにすてきな先生でした。

 三人目は五・六年生のときに担任だった女の先生です。

 先生はとにかく明るく元気でサバサバした男まさりの若い先生で、いつも「彼氏ができない。このままじゃ結婚できない」と言って、それをネタにしていました。

 何かあると男の子は必ず「そんなんやで彼氏できやんのやー」と言っていました。

 そんな感じでクラスがなごんでいました。

 先生は一番はじめの自己紹介のとき(だったかな?)に「先生はぷーカードを持っています。先生を怒らせるとぷーカードが与えられ、三枚たまると本気で怒るから覚悟するように!」というようなことを言っていました。

 「ぷーカード」は先生がつくった架空のカードで、先生の言葉通り、度が過ぎるようなことをすると「ぷー!ぷーカード一枚!」と言って、イエローカードを示すような仕草で冗談まじりに注意します。

 一度ぷーカードを三枚ためてしまった子がいて、そのときの先生は本当に怖かったのですが、その後「鼻チョークするぞー!」と言って、その子の鼻にチョークを入れようとして場をなごませました。

 そのように雰囲気をうまくあやつる能力は尊敬に値すると思います。

 鼻チョークもよく登場し、おもしろかったです。

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小学校で印象に残っている先生 26

大学生 女

 小学校高学年のとき保健委員になってよく休み時間は保健室にいたりしたのですが、そのときの保健の先生は話をするときいつもスキンシップをしながら話してくれたことを覚えています。

 スキンシップとは手をさすったり握ったりなのですが。

 当時は「ベタベタしてきて変なのー」とか思っていたけど、私がしょっちゅう保健室に行っていたのは、先生のスキンシップによって無意識のうちに安心感を得ていたからかなと思います。

 また先生に悩み事を言ったりすると「どの子も大事な子なんよ」って色んな子に言っていました。

 そのときはそんなに大好きな先生というわけではなかったけど、成長した今でも結構鮮明にその先生のことを覚えているので、無意識のうちに先生に心に薬をもらっていたのかなと思います。

 小二のとき担任の先生が何か月か入院してしまいました。

 そして退院して復帰したとき、先生はクラス全員に色とりどりの手作りのクマのマスコット人形をくれました。

 その人形は今でも大切に残っています。

 その人形を見るたびにあったかい気持ちになり、先生のことを思い出します。

 小三・四・六の担任の先生はよく授業を変更して話し合いの時間を設けてくれました。

 帰りの会だけでは足りないことが多かったからです。

 一日にほとんど話し合いってこともありました。

 先生は私たちがみんな納得できるまで時間を割いてくれました。

 小六のときほんとにみんな仲が良くて最高のクラスだったので、先生は私たちにとても大切なものを与えてくれたように思います。

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小学校で印象に残っている先生 25

大学生 女

 六年生のときの担任の先生はその年から新しく私の学校に赴任してきて、始業式に担任の紹介がされたとき、はっきり言って見た目は怖そうだった。

 しかし五月にもなると先生のことが好きになっていた。

 話はおもしろいし、休み時間になると外に出てサッカーやドッジボールを生徒たちと一緒になって遊んでいるような先生だ。

 普段は笑顔も多く、何よりも褒め上手な先生だった。

 学校生活の中で例えば誰かがいいことをしたときなど、一人ひとりにメッセージを書いて帰りの会で渡してくれるのだ。

 先生はすごく一人ひとりをよく見れていると思ったし、みんなそのメッセージをもらいたくて、いつも帰りを楽しみにしていた。

 そんな先生をみんな信頼していたし、今までの先生とは違うなと思っていたと思う。

 いつも元気であまり怒らない先生が授業の途中で怒って教室を出ていってしまったことがある。

 これは最初で最後だった。

 先生があんなに怒ったのははじめてで、クラスのみんなでどうするか考え、話し合った。

 結果みんなで謝りに行って、自分の気持ちを一人ずつ話すことになった。

 私が先生に気持ちを伝えたとき、いつもより真剣な顔で聞いてくれた。

 それから先生は教室に戻って来てくれて、話し合った。

 ぎこちなくなりそうだと思ったけど、そのことで先生と生徒の距離も縮まったのではと思える。

 この先生はよく「頑張っていきましょう!」と言ってくれた。

 この先生の言葉には本当にいろいろ頑張れたし、今でも耳に先生のこの声が残っている。

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小学校で印象に残っている先生 24

大学生 女

 私は小学校のときに担任してもらった先生はそれぞれに好きだったが、これといって強く印象に残っていることはあまりない。

 どちらかというと二つ下の弟の担任の先生の方が今では頭に残っている。

 私は先生とうまくいかなかったことはなくて、いい先生に恵まれたのかなと思う。

 弟は小さい頃はなかなか周りのことに気が回らない性格で、集中力がなく、行動も遅かったので、よく先生に怒られていたそうだ。

 しかもきついことで有名な先生とか、中には話を聞いていないと言って小刀(もちろんキャップはついているが)で殴るような先生にあたって、先生とうまくやっていくのは大変そうだった。

 一人だけ弟とうまく関わってくれた先生がいて、その人はとてもおおらかで、弟の行動の遅さを長い目で見守ってくれそうな人だった。

 教師と生徒にも相性というものがあるのだろうかと子どもながらに感じていた。

 自分の体験を強いてあげるなら五・六年のときに担任をしてもらった女の先生が一番印象に残っている。

 その人は私が担任を持ってもらった年に中学校からかわってきた人で、一度理科の授業で間違ったことを教えられた(笑)けど「原爆を落とされたのは当然かどうか」とか「部落について」とか、道徳や国語の時間にたくさん討論をさせてくれた。

 一人難しい家庭で不登校の子がいて、その子への対応で一部の生徒から嫌われていたりもしたけど、一番色んな事を真剣に話し合えた先生だったと思う。

 その先生が卒業するときにクラスの皆にくれた手紙にあった「なんとかなる。なんとかするかぎり」という言葉は今でもよく覚えている。

 あと、自由には責任が必要ということを教えてくれたのもその先生だった。

 生意気に自由という言葉をタテにして無茶を言っていた私たちに、先生はいつも自由には責任が伴うということを訴えていた。

 今ならその意味がよくわかるし、先生が教えてくれようとしたことの大切さも少しはわかるようになったと思う。

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小学校で印象に残っている先生 23

大学生 女

 一番印象に残っている先生は五・六年生のときに社会を専門に教えてくれていた先生です。

 授業中、いつもくだらない話をしてみんなを笑わせていました。

 「自慢じゃないけど」が口癖で、私たち児童は先生の話に驚かされてばっかりで、先生に夢中でした。

 またその先生は課外クラブでも顧問をしていて、どこから湧いてくるのかわからない根拠なき自信で私たちを指導してくれました。

 おかげで私たちのチームは地元で負け知らずの強いチームになりましたが…。

 試合内容に納得がいかないとダッシュを何本もさせられたり、指示されたことと違うことをしたらむちゃくちゃ怒られたりしました。

 怒ると本当に怖くて、先生に見放されるのがすごく嫌だと感じていました。

 でも普段は本当におもしろいし、良いことをしたら心から褒めてくれました。

 先生に褒められたくて、認めてもらいたくて、クラブや勉強をがむしゃらに頑張った気がします。

 先生の言うことなら正しいと信じていたような(笑)。

 そんな先生を今までの中の一番の恩師と思っています。

 「お前ならできる」「お前にしかできない」、そんな言葉を今でもふと思い出します。

 基本的に小学校時代は嫌いな先生はいませんでした。

 この人のこういうところは嫌だなあと思ったことはありますが、関わった先生すべて良い先生であったと思います。

 何かをやり遂げることができたとき、本気で褒めてくれる人が多くて、それが自分の中で最高にうれしくて、すごく頑張れた気がします。

 若い先生が少なくて児童の扱いに慣れていたというのもあるのでしょうが。

 今思うとあの頃の私は「先生」という存在が大好きだった。

 先生に対して「○○ちゃん」とあつかましくも友達のように話しかけて、自分の喜怒哀楽を聞いてもらっていた。

 特に保健室の先生が大好きで、毎放課後と言っていいほど保健室に行き、時間を潰していた。

 何であんなに先生が大好きだったのだろう。

 何かを言えばかまってくれるからだろうか。

 いつか私も生徒に「大好き」と思われる先生になりたい。

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小学校で印象に残っている先生 22

大学生 女

 小学校六年生のときの担任の先生が私の一番印象に残っている先生です。

 ちょうど六年生のとき、私の妹の体の調子がよくなく、約三か月間入院したことがありました。

 妹は歳が小さいこともあり、いつも母が付き添わなければならない状態でした。

 また父も忙しく、父母私妹の四人で暮らしていた私は、妹の入院中三か月は母の知人(私の幼なじみでもありました)の家に預かってもらうことになりました。

 その三か月は預けられた家族の方にとてもよくしていただき、今でもとても感謝しています。

 しかしやはり自分の家族とは違うから、自分の意識していないところで心が疲れていたのでしょうか。

 寂しさも心のどこかにあったと思います。

 担任の先生も私が知人の家に預けられているのは知っていましたが、特別そのことについて話したりすることはありませんでした。

 陰で見守っていてくれたのだと思います。

 父や母と離れて生活することの大変さを自分自身でも考えさせられた時期でもありました。

 つらくて、寂しくて、失敗もたくさんしてしまいました。

 先生は私のそういういつもと少し違った点を見抜いていたようで、私が一人になったときなど、まるで私の友達のように、父のように、楽しく、そして真剣に話を聞いてくれました。

 ある日、朝の会がはじまり、おわろうとするとき「○○さん、みんなの前まで出てきてください」と言いました。

 私は何のことかわからず前に出ると、先生が「お誕生日おめでとう」と言って、クラスのみんなが一斉にハッピーバースデーを歌ってくれました。

 みんなの前では恥ずかしくて涙をこらえていましたが、目が涙でいっぱいでした。

 うれしくて、そして私はみんなに守られている、先生もみんなも私を思ってくれていると思った瞬間でした。

 一人じゃないんだ!と強く感じさせられました。

 私のことを気にしてくれ、そして配慮してくれる、そんな先生でした。

 「誕生日おめでとう」なんて本当にちょっとしたことでしたが、そのときの私には何よりうれしく、何よりの心からのプレゼントでした。

 つらさや寂しさも一瞬にして消えてしまいました。

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小学校で印象に残っている先生 21

大学生 女

 私が小学校のときに印象に残っている先生は、五・六年生のときに担任をしてくださった先生です。

 五・六年と言っても五年の三学期からで、五年のときに担任をしてくださった先生が病気で亡くなり、その代わりとして担任になりました。

 前の先生を亡くしている私たちにとってはとてもつらく悲しい学校生活だったのだけれど、その先生はとても活発でまたいつも笑顔で私たちに接してくださり、クラスも前のようにとても明るい雰囲気になっていきました。

 私がその先生について印象に残っていることは二つあります。

 一つ目は毎週のように学級通信を書いてくれたことです。

 その学級通信は半分は予定や連絡が書いてあるのですが、もう半分は先生が見たクラスの様子について書いてありました。

 そのクラスの様子には毎回二・三人クラスの子が登場しており、その子が○○をしてくれたや、○○はとても楽しい子だなど、その子のいいところがたくさん書かれています。

 それに自分が登場したときはとてもうれしく、早く母親と一緒に読みたい気持ちでいっぱいでした。

 また他の子のいいところなどもそれを読むことによって見つけることができ、毎週読むのが楽しみでした。

 その学級通信は今も宝物として残っています。

 二つ目はクリスマスが近付いた頃学校に行くと黒板に大きなツリーの絵が描かれており、その枝に磁石で小さい靴下がクラスの人数分かけられていました。

 名前が書かれている靴下をとって中身を見てみると、アメとセリフがそれぞれに一言書いてありました。

 私の紙には「自分は自分だと思える薬」と書いてありました。

 私は今まで周りと一緒じゃなきゃダメだとか思っている部分があったので、その紙を見たときハッと気付かされました。

 自分のことをすごく理解してくれているんだなとすごくうれしくなりました。

 そのアメをなめたときは、よし!自分変われる!という気分にもなりました。

 他にもその子にあった一言が書かれており、みんなのことをしっかり見ているんだなというのが伝わってきました。

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