小学校で印象に残っている先生 2, いじめ
大学生 女
私は小学校の先生が大嫌いだった。
小学生のときの自分も大嫌いだった。
だから私自身の中で、小学生時代の六年という長い期間であるけれど、小学生だったときの自分は抹消した。
卒業アルバムも、自分の写っているところはシールなどを貼ったままになっている。
こんなことを書くと、ちょっとおかしい人だと思われるかもしれませんが…。
とりあえず「先生について」ということで、嫌いだった先生について思い出して書きます。
六年間、毎年先生はかわりましたが、好きだったのは一年生のときの先生のみ。
それからは先生がかわるごとに嫌いになった。
小学校のときは仲良しグループというのがあって、だいたいクラスで仲の良い子はかたまって行動していた。
それぞれグループ内で、仲間はずれとか、誰か一人をターゲットにしてみんなで無視するとか、そういったことは何回も繰り返されていた。
私は無視する側の経験も、される側の経験もあるけれど、いじめられる側に立ったとき、つらすぎて死にたいと考えたほどだった。
私はそのときはじめていじめられる側になり、でもプライドがあって、親には絶対バレたくない、他のグループの子、他のクラスの子にも自分がそうなっていることを知られたくないという強い思いがあった。
先生は全く助けてくれなかった。
それだけでなくて、いじめる側の、ウソの私についてのことを勝手に信じて、私の親に言った。
昔からすごく親の評価を意識していた私にとって、そのことは相当なショックであり、そのときから、先生なんかと思うようになった。
自分から仲良しグループのメンバーに思い切ってぶつかり、泣きながら言いあった。
それからいじめはなくなった。
それ以来、勉強も運動も人一倍努力して、親に心配かけないようにと必死だった。
中学校からはすごくステキな先生たちと出会い、とても先生が好きになった。
小学校のあのとき、私に確認もせずに、いじめる側が言う全くウソの情報、悪口をそのまま信じて親に言ったこと、すごく忘れたいのに忘れられない先生である。
そのような先生の行動は間違っていたと今でも思う。
自分の人格を否定される思いだった。
小学生であっても人の評価を気にしている。
大人によって、できる子、できない子、だめな奴と勝手に分けられ、できない子と判断された者を除外しようとする。
そのような大人のせいで、闇の世界へと追いやられた子どもも少なくないのではと感じている。