遠い場所もつながっているよ

May Flowers always line your path and sunshine light your day.

小学校で印象に残っている先生 17

大学生 女

 私は小学校三・四・六年と同じ先生に教えていただいた。

 その先生が本当に好きで、教師を目指すようになった。

 今あらためて思い出しても、その先生は変わった先生だった。

 字や絵が上手で、他のクラスの学級通信はパソコンで打ち出されたものだったのに、私のクラスだけはかわいい絵柄入りの手書き通信で、私はそれがとても好きだった。

 月に何回も発行してくれて、題字のところは生徒から募集していて毎回誰かが書いたものが使われていてすてきだった。

 また余った給食のご飯で塩おにぎりをつくってくださって、それが毎回人気で、本当に美味しかった。

 「他のクラスには内緒」と言って入り口を閉めてつくっていて、なんだか特別なようなワクワクする気持ちもあって余計に美味しかった。

 クリスマスの日には布で一人ずつに小さな靴下をつくってくれていて、中にはアメが一つ入っていた。

 朝教室に入ったときそれを見てとてもうれしかったのをよく覚えている。

 そのアメには付箋で一人ひとりに違うコメントがしてあった。

 私の場合は「どんなに元気でいてもパワーが切れない薬」だった。

 今でもその靴下は飾ってあるし、もらった当時は毎回アメを入れておいて、元気が出ないときや落ち込んだときはそれをなめていた。

 先生はクラスで仲間割れがあっても、あえてすぐに仲をとりもとうとはしなかった。

 けれどなかなか仲直りできなかったとき、体育の時間に円になって話し合いをしたことがあった。

 そのとき先生が一番泣いていて、私達も泣いた。

 また仲間はずれにされている子がいたときは、学級会を開いて、みんなにその子がなぜ仲間はずれにされるかを言わせた。

 それはとても効果的だった。

 卒業式の日、先生はスーツではなく、自分で手作りをした服を着てきた。

 特別な日だから特別な服を選んだと言っていた。

 先生はいつも私たちが好きだということを全力で表現してくれていた。

 だから私たちは先生を本当に信頼していて、最終的にクラスはとてもまとまっていた。

 私はそんな先生を特別な存在と思い、とうていかなわないと思っていた。

 今でもその気持ちは消えないけれど、この前お話ししたとき「最近は上とかPTAがきびしくってねえ。好きにさせてもらえないよ」とグチっている先生を見て、なんだか今までとは違う人間臭さを感じてうれしかった。

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