小学校で印象に残っている先生 43
体罰
大学生 女
小学校のとき印象に残っている先生は?と訊かれると、実は私にとってすべての先生が印象に残っているので一人にしぼることはできません。
小学一年生のときはまだ先生になったばかりの人で子どもたち(特に男の子)にからかわれてよく泣いていました。
あるとき一人の男の子と泣きながらケンカしていました。
その頃私は「さわらぬ神にたたりなし」という感じでただ見ているだけしかできませんでした。
今思えばとても悪いことをしたなあと後悔しています。
しかし体当たりで子どもたちと接していたというのでしょうか。
きっといい先生になったのではないかと思います。
小学二年生のときには学校内で最も恐れられている男の先生が担任でした。
というのも板でおしりを叩くからです(この頃はまだ体罰も厳しく禁じられていなかったようです)。
忘れ物を何回もすると男の子だろうが女の子だろうがみんなの前に立たせて板でおしりを叩いていました。
小学三年生のときの先生をもしかしたら私は最も好きかもしれません。
この先生のとき学習発表会で『番長皿屋敷』という劇をしました。
歌や劇が大好きな先生だったので先生自身もとても楽しんでいました。
だから教えられる子どもたち側もとても楽しかったという思い出があります。
この先生が四年生も担任だったらいいのにと私は心の中で願っていました。
それはどうやら私だけではなかったようです。
四年生の担任発表のときその先生の名前が呼ばれると、四年生全員が「イェーイ」と言って拍手し喜んだものです。
小学五年生の先生はとても怒ると怖い先生でした。
私もこの先生に怒られたことがあります。
お昼の給食で放送委員会が「何でもインタビュー」という番組を当時流していました。
そのとき私はゲストして呼ばれ、六年生が卒業していくにあたってどう思うかということを訊かれ、普通に「悲しいです」と答えました。
放送室から帰ってくると先生が怖い顔をして名前を呼び「普通のことを言うな」と怒られました。
「はあ?!」と私は腹が立ったことを覚えています。
小学六年生では親の間でも子どもの間でも評判のよい先生が担任になりました。
その先生は何か事件が起こると授業を何時間でもやめて話し合いや説教をする先生でした。
卒業前、誰かが図工室の机に「平成八年度卒業生」と彫ったことを先生はとても怒って、しばらくの間笑わせてくれたりしませんでした(この先生はとてもおもしろかったのです)。
だからクラスのみんなが謝りに行かなくてはいけないのではないかという雰囲気になり、先生に謝りに行ったことを覚えています。
このように見てくると、実にさまざまな先生がいました。
どうしてこんなことぐらいであんなに先生は怒ったんだろうということもありました。
でも今の私をつくっているのはこの小学校生活が大部分だと思います。