小学校で印象に残っている先生 55, いじめ
大学生 男
小学校三、四年のときの先生はこんな先生だった。
見た目はメガネをかけて髪はパーマをかけているおばちゃんだ。
そいつは授業参観と保護者面談の日は穏やかでニコニコして丁寧な言葉を使用する。
が、普段は子どもを見下しているのが見え見えの態度だ。
例えば四年生の頃リコーダーの練習帳をなくしたときに言いに行ったら「自分がなくしたんだから自分でなんとかしなさい」と完全に無視された。
それから数か月後の保護者面談で母親が同じことを言ったら、即座にその本をコピーして持ってきたのである。
それぐらいならまだいいが、極めつけはいじめにあっていたときにそいつがその現場を目撃していて、明らかにいじめとわかる状況であるにもかかわらず無視。
言いに行くと「あんたにも悪いところがある。あの子たちには後で注意しておくから」。
その後加害者たちに注意した様子はいっこうに見られず、いじめはクラス替えが行われるまで続く。
その先生がクラスの歌と称しこんな歌をつくった。
「楽しい歌が聞こえてる。たまにはケンカもするけれど、すぐに仲良し楽しいクラス」。
このときから世の中というものは言葉できれいごとを言い、権力を持つ者に従っていれば、弱いものは無視しても虐待してもよいということを知った。
そういう世の中の汚さを体感させてくれたこの先生に感謝する。
しかし高校や大学に入ってから会った先生にはかなりいい先生がたくさんいるのに、小中学生のときは皆無だったのはなぜだろうか。
特に小学校のときは先生と話もしなかった。
それはやっぱり子どもだからといってバカにするというか相手にしないということがあるのだろうかと思う。
六年の頃の先生は僕が吃音で当てられた答えを言えないとき、その理由を知りながら「○○君が言えるまでクラス全員残りなさい」と言ったために帰る時間が遅くなり、クラス全員に僕がにらまれた。
そのときがはじめて自殺を考えたときだった。
その先生が卒業式のとき握手を求めてきて「君は何でもできるすばらしい子だ。自信を持ちなさい」と言った。
保護者の前というのがポイント。
というわけで小学校の先生には悪い印象しかないというのが結論。