遠い場所もつながっているよ

May Flowers always line your path and sunshine light your day.

小学校で印象に残っている先生 70

大学生 女

 詳しくは覚えていないが、もめ事が起こりまったく関係のない私が隣のクラスの先生に叱られたとき、担任の先生が私のかわりにかなりの勢いで隣のクラスの先生に怒ってくれた。

 当時はその状況を担任ならかばって当然だろうと思っていたが、今考えると大人が大人に対し強く言うことは本当に難しいことだし、ありがたいと感じる。

 隣のクラスの先生も自分のクラスの子の証言を信じて、たまたま現場近くにいた私に目をつけた感じだった。

 担任の先生が自分のクラスの児童のことを信じてくれるという関係の強さは本当に大事だと思う。

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小学校で印象に残っている先生 69

大学生 女

 掃除の時間、教頭先生に言われて一緒にひたすらドクダミを摘んでいました(教頭先生がドクダミ茶を飲みたい)。

 

 校長先生が授業中ひそかに学校で一番高い鉄棒で大回転をしていたのがすごくおもしろかった。

 ある日「メロンパンとカレーパンどっちがいい?」と突然話しかけてきて「カ…カレーパン?」と言ったら、校長先生は笑顔で「そっか、じゃあメロンパン食べるよ」と言って去っていきました。

 私にくれるのかと思ったのに残念でした。

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小学校で印象に残っている先生 68

大学生 女

 私は中国から来た留学生です。

 自分自身も四年ほど小学校の教師として勤めていました。

 今更ですが子どもを傷付ける言葉や行動が多かったと思い、ここ一年間ずっと反省中です。

 小学校時代、誰でも先生の一言で励まされたり、先生の冷たい視線で泣いたりしたことがあるでしょう。

 先生は子どもの成長を左右する主な原因の一つだとも言えるでしょう。

 

 小学校三年のときでした。

 ある日急に新しい担任の先生が入ってきて、いきなり算数の小テストを受けました。

 次の日、赤ペンで採点されコメントまで加えられたテストを返してもらいましたが、そこには「成績が最悪なのに恥ずかしくないですか」と書かれていました。

 そのときの心情、今でも忘れられません。

 友人の自分への働きが「-」にもなり「+」にもなると同様に、先生の生徒への働きも「+」にもなり「-」にもなると思います。

 あのときの先生の一言が私にとって「-」になったとしたら、今の私はどうなっているでしょう。

 先生の一言が私にとって「+」になったのは事実ですが、私は先生のやり方に賛成はできません。

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小学校で印象に残っている先生 67

大学生 女

 小学校四年生のときの担任の先生がよくけがや病気の話をする人で、血の話が苦手な私はそのたびに貧血をおこしていました。

 その先生はそれさえもネタにして話をしていました。

 ずっとおかしいと思っていました。

 

 小学校では給食を残すと掃除や帰りの時間まで食べさせる指導が普通でした。

 でも小六の先生は自分が椎茸が食べられないからと言って、残すのはありでした。

 好き嫌いの多かった私はかなり解放された気分でした。

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小学校で印象に残っている先生 66

大学生 女

 あんまりいい思い出ではないのですが、四年のときの担任が子どもに対して悪口を言っていました。

 私もよく体型のこととかでからかわれたりして嫌な思いをしました。

 自分でもその頃は体型にコンプレックスを感じていたので、他の友達の前で言われるのがすごく嫌でした。

 ふざけて悪気なく先生は言っていたのかもしれないけど、子どもは先生から言われたら絶対傷付く。

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小学校で印象に残っている先生 65

大学生 女

 小学校のとき一番印象に残った先生は四年生のときの担任です。

 普段はとても明るく、家庭訪問に来たときの親の印象では話好きのおばさんという感じで、予定時刻を過ぎてもなかなか来なく、来たと思ったら長いことたくさん話をして帰っていったそうです。

 また歌や詩、早口言葉などといったものも好きで、帰りの会では必ず何かみんなで歌ったり、口をそろえて朗読したりしていました。

 そう聞くととても楽しそうなイメージですが、忘れ物をしたとなるとまた別で、もう大変でした。

 宿題をやっていかなかったり、前日に言っていた持ち物を忘れてしまったりすると決まって「どうしてですか?」と理由を訊ね、黙っていると「言いますか?書きますか?」としつこく訊いてきました。

 どうしてと訊かれてもうっかり忘れた場合もあるのに…。

 理由なんてないよおと自分が忘れ物をしてしまったときを頭に思い描いてはびくびくしていました。

 そんなあるとき夜中になって宿題をやっていないのに気付き、慌ててやろうとしたのですが分度器がなく、こんな時間に近所の友達に借りに行くこともできず、親にはあきらめなさいと言われました。

 それでも宿題忘れとなるのが怖く、分度器もないのに目分量で宿題をやり、案の定答えは間違えていて、先生に「なんでこんなに違っているの?」と訊かれてしまいました。

 私は恐くて何も答えることができず、ただただうつむいて黙ってしまい、それからはしつこいくらいに毎日放課後残され、日が経つにつれ余計言うこともできず書くこともできずで、遅く帰っては親にも怒られ、毎日苦痛な日々が続いたのを今でも覚えています。

 学年が上がって担任でなくなってからは普通に話せるし、楽しくて良い先生だなあと思えるようになったのですが…。

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小学校で印象に残っている先生 64

大学生 女

 小学校三年生と四年生で二年間担任を持っていただいた女の先生のことが私の中でとても印象に残っています。

 もうとにかく子どもと同じ目線に立ち、明るくおもしろく正義感の強い魅力的な先生です。

 毎日宿題に日記が出て、私たちの日記の倍くらいの量を赤ペンのコメントで返してくれていました。

 その日記の中から、友達同士の問題や友達のいいところを発見したこと、今日の出来事などを取り上げて、毎週学級会の時間にドーナツ型になってクラスみんなで話し合いました。

 一人の悩みをみんなで考えること、友達と対等な関係で本音でキャッチボールすること、人の痛みをわかることを全力で伝えてくれていたように思います。

 クラスに三十六人いて、しっかり三十六人と太い絆でつながっていて、とても私たちと向き合っていることを感じていました。

 私たちのことを理解して尊重してくれている先生でした。

 その二年間同じクラスだった子たちとは今もすごく深い絆があって、毎年先生と一緒に同窓会をしています。

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