小学校で印象に残っている先生 20
大学生 男
小学校三年生のときの担任の先生が印象に残っています。
それは、その先生に思い切り叩かれたからです。
確か四限目だったけれど、その日の四限目は体育の授業のはずでした。
でもなぜか急に俺のクラスの体育はなくなって他の授業となり、隣のクラスが急遽体育をすることになりました。
先生に「何で体育なくなったん?」と訊いても、よくわからない説明と我慢しなさいみたいなことを言われました。
その四限目の授業がはじまっても文句を言っていたら、先生が怒って、そんなんなら体育をしているところに行ってきなさいと言いました。
だから仲のいい子たちと数人で授業を抜けて体育をしているところへ行きました。
数十分くらい経って教室へ戻ると、先生がめちゃくちゃキレて立っていて「前に立てー!」と言われました。
みんなが横一列に並ぶと、先生は一人ひとりに思い切りビンタをしてきました。
あまりにも思い切りだったので、かなり痛かったです。
しかも並んでいた間隔が狭かったので、俺は隣の人をビンタするために先生が勢いをつけて引いた手が、さっきビンタをされた逆のほっぺにバシッと当たり、両方のほっぺが真っ赤になりました。
今でも自分たちがやったことではなく、あんないい加減な説明をして「行ってこい」って言った先生がおかしいんじゃないかなって少し思ったりもします。
小学校で印象に残っている先生 19
大学生 男
五・六年生のとき友達が授業中にほかごとをしていたら、先生がその子を立たせてトイレまで連れていき、トイレのスリッパで頭を叩いて叱った。
教室に残された生徒はスリッパで叩かれる音しか聞こえなかったので、その先生に対して恐怖心を植え付けられた。
今思えばこの先生の叱り方は生徒を更生させるために行われたと思うが、行き過ぎていたと思う。
また別の話になるが、ある生徒の机に落書きされた事件が起こったとき、先生は怒って教室のドアを激しく開けてドアのガラスを粉砕させた。
この叱り方も生徒に恐怖心を与えるばかりで、生徒の更生につながるものとは考えにくい。
一年生のとき気分が悪くなりゲロを吐いてしまったが、先生は自分をたいして叱ることもなく片付けをしてくれ、本当にうれしかった。
もし先生に叱られていたら、吐いてしまってショックを受けている上に更にショックを受けるところだった。
自分で吐いてしまった時点で悪いことをしたとわかっているので、先生が叱らなかったのは正しい判断だと思う。
小学校で印象に残っている先生 18
大学生 男
僕が一番印象に残っている先生は、一年生のときの担任の先生です。
当時の僕はものすごい偏食で「野菜」と名のつく物は全く食べられず、果物や一部の魚ですら食べられない状態でした。
そんな体質だったため、当然給食の時間内には食べきれるはずもなく、僕は昼休みはもちろん帰りの学級会や同級生が帰った後も、いつも取り残されていました。
そのときの担任の先生は、給食がおわった後から学校がおわるときまでは非常にきびしい感じで「早く食べおわれ」といった感じの無言のプレッシャーみたいなものを幼いながらに感じていました。
帰りの学級会の時間でも軽く小言のようなことを言われており、そのときの僕は怖さと恥ずかしさで泣き出しそうな(泣いていたかもしれない)状態でした。
でも学校がおわってみんなが帰った後は、先生は僕が食べおわるまでずっと教室に残っていてくれました。
諦めて給食室に持っていったり、無理に食べて吐いてしまったりすることがほとんどだったのですが、そのときは少しも怒らず優しくしてくれたり、励ましてくれたりすることが多かったように思います。
また少しずつ頑張って食べていき、完食したときには「よく頑張ったね」などと言って、一緒に喜んでくれました。
それまではずっと孤独な気分だったのですが、そうやって一緒になって自分をサポートしてくれていたことがとてもうれしかったように思います。
それからも何度も迷惑をかけ、偏食も長い時間をかけて克服しました。
やっぱり弱い生徒を気遣い、助けてくれたことが思い出として強く印象に残っています。
小学校で印象に残っている先生 17
大学生 女
私は小学校三・四・六年と同じ先生に教えていただいた。
その先生が本当に好きで、教師を目指すようになった。
今あらためて思い出しても、その先生は変わった先生だった。
字や絵が上手で、他のクラスの学級通信はパソコンで打ち出されたものだったのに、私のクラスだけはかわいい絵柄入りの手書き通信で、私はそれがとても好きだった。
月に何回も発行してくれて、題字のところは生徒から募集していて毎回誰かが書いたものが使われていてすてきだった。
また余った給食のご飯で塩おにぎりをつくってくださって、それが毎回人気で、本当に美味しかった。
「他のクラスには内緒」と言って入り口を閉めてつくっていて、なんだか特別なようなワクワクする気持ちもあって余計に美味しかった。
クリスマスの日には布で一人ずつに小さな靴下をつくってくれていて、中にはアメが一つ入っていた。
朝教室に入ったときそれを見てとてもうれしかったのをよく覚えている。
そのアメには付箋で一人ひとりに違うコメントがしてあった。
私の場合は「どんなに元気でいてもパワーが切れない薬」だった。
今でもその靴下は飾ってあるし、もらった当時は毎回アメを入れておいて、元気が出ないときや落ち込んだときはそれをなめていた。
先生はクラスで仲間割れがあっても、あえてすぐに仲をとりもとうとはしなかった。
けれどなかなか仲直りできなかったとき、体育の時間に円になって話し合いをしたことがあった。
そのとき先生が一番泣いていて、私達も泣いた。
また仲間はずれにされている子がいたときは、学級会を開いて、みんなにその子がなぜ仲間はずれにされるかを言わせた。
それはとても効果的だった。
卒業式の日、先生はスーツではなく、自分で手作りをした服を着てきた。
特別な日だから特別な服を選んだと言っていた。
先生はいつも私たちが好きだということを全力で表現してくれていた。
だから私たちは先生を本当に信頼していて、最終的にクラスはとてもまとまっていた。
私はそんな先生を特別な存在と思い、とうていかなわないと思っていた。
今でもその気持ちは消えないけれど、この前お話ししたとき「最近は上とかPTAがきびしくってねえ。好きにさせてもらえないよ」とグチっている先生を見て、なんだか今までとは違う人間臭さを感じてうれしかった。
小学校で印象に残っている先生 16
大学生 女
一番印象に残っているのは、小五・小六のとき担任だった先生です。
すごく仲が良かった子とクラス替えで別れてしまって、仲の良い子があまりいない中、休み時間になるたびにクラスのほとんど全員を集めて校庭で鬼ごっこやかくれんぼやポコペンをしたり、週に一、二回は楽しい実験をしたりしてくれる先生をすぐに好きになりました。
生徒のことを良い面も悪い面もよく理解してくれる先生で、私の場合、絵や感想文などが一人だけ周りの子と全然違っているのを「他の人とは違った物の見方ができてすごいな」と褒めてくれたり、のんびり屋でマイペースなのを「待っていると日が暮れる」とちゃかしたりしました。
家庭訪問で「勉強はよくできる子ですから、体育はもうあきらめてください(笑)」と言われたのはちょっとショックでしたが…。
運動会で組み立て体操をすることになったとき、プレッシャーで体調を崩して休みそうになったけれど、先生の励ましの電話で何とか行けたこともありました。
二十歳になったら、小六のとき皆で書いた「二十歳になった自分へ」という手紙を届けてくれるそうです。
先生、ハゲハゲ言ってごめんね(笑)!
クラス会とかがあったら絶対行きたいです。
小学校で印象に残っている先生 15
大学生 女
六年生の担任の先生がとても印象に残っています。
修学旅行の当日、担任の先生は集合場所に車で向かわれていましたが、途中トンネル内でトラックと衝突してしまう事故にあわれてしまいました。
幸い命は助かったものの重症で病院に運ばれたとのことでした。
事故のことは後日母から聞きました。
私たち生徒は当日どうして先生がいらっしゃらないのかを聞かされませんでした。
とても寂しかったのをおぼえています。
先生は三か月入院されて、学校に戻ってこられましたが、事故の後遺症なのか左足を引きずっておられました。
私たちは先生の荷物を持ったりなど、できるかぎりのことをしました。
先生はいつも「ありがとう」と言ってくださいました。
三学期に入り、私は体調不良で十日ほどですが入院してしまいました。
十日間という短い期間でしたが、入院ははじめての経験でしたので、いつも以上に母に甘えたり、わがままになってしまったりと感情が不安定でした。
先生は左足を引きずりながら来てくださり、本などを持ってきてくださいました。
先生が来られた時間はとても楽しかったです。
とても感謝しています。
小学校で印象に残っている先生 14
大学生 男
いつも授業のときに関係のない話をよくしてくれたので好きでした。
話の内容はおもしろい話から怖い話、先生の体験談などたくさんのものを長いときには授業のほとんどをつかって話してくれました。
その中でも一番よく覚えているのが怖い話をその先生がしてくれて、一番怖いところで先生が大きな声を出したときに、びっくりして椅子ごと後ろに転んでしまったというとても恥ずかしいことです。