遠い場所もつながっているよ

May Flowers always line your path and sunshine light your day.

子どもと恋 35

大学生 男

 高校に入学したときに一目惚れした女の子がいました。

 でもいつも遠くから見ているだけで、一言も話すことができずに過ごしていました。

 そのうちにその子は高校をやめてしまって、二度と会うことができず、しばらくの間その子のことが頭から離れずにただ想っているだけの日々を過ごしていました。

 話しかけていたらよかったなどの後悔ばかりです。

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子どもと恋 34

大学生 女

 私は小学校のとき好きな男の子がいました。

 とても活発で人気者でした。

 でも周りにもその男の子を好きな女の子がたくさんいた。

 だから皆にも私がその男子のことが好きとは言えず。

 そのまま小学校を卒業しました。

 中学校に上がって二年生になると、好きだった男子が私の悪口を言っていました。

 とてもショックで、なんで私はこの人を好きになったんだろうとめっちゃ思いました。

 それからは人をとても好きになったことはないし、付き合ったこともありません。

 早く本気で好きになれる人がほしいです。

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子どもと恋 33

大学生 女

 私は小さい頃からたくさんの人に囲まれていて男の子も友達感覚でずっといたので、初恋は中学になりました。

 遅いねってみんなによく言われましたが、小学生の頃とか男の子はいじわるだったし、周りにかっこいい子が児童数が少ないせいでもありますが全くいなかったので、恋する要素がなかったのです。

 でも中学でそれなりに男前を見つけて、なんか喋れるのが楽しくなる人がいて、いつの間にかすごい好きになっていました。

 見つけるだけでその日一日が楽しくなりました。

 でも淡く恋は散りました。

 どんどんその人を知っていったら、たいへん性格が悪くて冷めたのです。

 高校ではバスケ部でクラスのミスターに恋をしました。

 かっこよすぎて喋れませんでした。

 結局その人はミス一位と付き合いました。

 高校のベストカップルとなりました。

 たいへん悲しく苦い思い出ができました。

 それから好きな人は特にいません。

 ていうか、理想が高いことに気が付きました。

 中学校までの間に少女マンガの読みすぎで、たいへん理想を高めてしまったようです。

 これからまた恋するのかと思うとおそろしいです。

 もうお見合いでいいです。

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子どもと恋 32

大学生 女

 子どもの頃私はひどく面喰いだった。

 私の実家の近所にはなぜか格好良いお兄さんが多くて、子ども相手に優しい人達だったのもあってか私はその人達が大好きでした。

 面喰い+年上好き。

 特にエンカウント(遭遇)率の低い豆腐屋のお兄さんは当時河村隆一似とたいへんカッコイイ人で、お遣いに行くたびに会えるか会えないかドキドキしていました。

 今思えばそれは強い憧れのようなもので恋ではなかったのでしょうけど、それでも昔はそのお兄さんのお嫁さんになりたいとか思ってたものです。

 あの頃は若かった…。

 正直私は恋愛経験皆無なので本当の恋がどんなモノなのかサッパリわからないのですが、子どもの頃の恋(?)はとにかく一途で、想っているだけで幸せでドキドキしたような気がします。

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子どもと恋 31

大学生 男

 僕は小学校四年生のときに初めて好きと思えるような人ができた。

 僕は部活に入っていたが、その人が近くにいたらとりあえず必死でいいところを見せようと頑張ったことを覚えている。

 また気持ちとは逆に相手にとって嫌なことをしていたような気がする。

 男友達と好きな人について話していたときにその友達と一位と二位の人が逆だったのが今でも記憶に残っている。

 小さいときはいろいろなことを考えずに単純でよかったと思う。

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小学校で印象に残っている先生 30

大学生 男

 あまり印象的な出来事などはないが、よく覚えているのは小学校四年生のときの担任だった先生。

 私は小学校四年生のときに引っ越したので新天地でのはじめての担任だったが、その先生の最初の印象は「怖い」。

 年配の女の先生だったのだが、とにかく怖い。

 何が怖いって、口調は乱暴、顔も普段から怒っているような表情、それより何より怒ったときの怒鳴り声と言ったら思わず立ちすくんでしまうほど。

 宿題も毎日出たが、怒られたくないので家に帰ってすぐやった。

 何をやったかは忘れたが、何か怒られてしまうようなことを悪気なくしてしまったとき、次の日どうしても怒られるのが怖くてお腹が痛いと言って学校を休んだこともある。

 給食のとき食べる姿勢が悪い(肘を机についたり、左手を使わず食べたり)と椅子の上に正座させられた。

 一度指摘されたら五年生に上がるまでずっと正座で給食を食べることになっていた。

 お行儀の良い女子一名だけが正座を言い渡されることなく五年生に上がった。

 その先生は加山雄三が大好きで、度々加山雄三のテープを流しては歌っていた。

 学活か何かの時間に私たち児童も歌詞カードを配られて歌った覚えがある。

 そんな先生も一人息子のことになると目尻が下がる。

 確か私より年下だったと思うが、その子のことをとても大事にしていた。

 その先生は一年間だけ来た先生だと聞いて、私と仲の良い友達三人、計四人で先生の家に遊びに行くことになった。

 行って何をしたと言われたらほとんど覚えていないが、楽しかったような気がする。

 結局私はその先生のことが好きだったのか苦手だったのか今でもよくわからない。

 ご機嫌取り、あるいは仲良くなっておこうという悪知恵が働いての行動(先生の家に遊びに行ったこと以外でも)だったかもしれないという思いもある。

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小学校で印象に残っている先生 29

大学生 女

 低学年のときに担任してもらった先生は嫌だった思い出があります。

 私は給食を食べるのが遅く、少食だったので皆より食べおわるのが遅くて、全部お腹に入りませんでした。

 担任の先生は「給食は残してはいけない」と言い、皆が掃除をはじめているのに私は給食を食べさせられていました。

 最終的には先生にパンと牛乳を口に無理に入れられて、嫌で泣いた覚えがあります。

 今となっては私の成長のことを思って行ってくれていたのかなと思いますが、当時は給食が嫌でしょうがなかったです。

 六年生の担任の先生は本当に良かったです。

 「心のノート」と言って、好きなときに思ったことやあったことを書いて提出するというものをしました。

 日記などと違って強制でなかったし、先生からのコメントも書いてあり楽しかったです。

 また教室の壁に大きな模造紙が貼ってあり、何か頑張ったら「がんばりカード」というものをそこに貼りつけてくれました。

 「がんばりカード」には「○○さん○○をがんばりました」と書いてあり、模造紙には「がんばりの実は甘い」と書いてあったのを覚えています。

 自分を認めてもらっているという気持ちになりうれしかったし、頑張ろうという気持ちになりました。

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